実は洋書の方がラクである場合もある

洋書を読むのは和書を読むよりも手間隙かかるものですが、それを差し引いても洋書の方がラクであるという場合もあります。例えば、民法学・法社会学の泰斗であられた川島武宜先生は、大学時代に法学というものがよく分からずに困ったことがあるそうですが、『ある法学者の軌跡』(有斐閣)19-20頁で以下のようなことを語っておられます:

その後、たまたま私の本棚に、著者の名前は忘れましたがドイツ語の『法律学入門』(Einführung in die Rechtswissenschaft)がありましたので、何かのはずみで、それを読みました。これはたいへんよくわかるのです。その本は、高等学校のときに、「法学通論」の講義で先生が言われた本でした。たしか著者は有名な人だったと思いますが、法学入門として、そんなに独創性のある本ではなかったようです。しかし、ドイツの本はやはりえらいもので、よくわかるのです。

――先生のわかったというのはどういうことなのですか。

つまり法律の世界では、なぜあのような特殊な議論をするのかということが、少しでもわかる、ということです。そういうことがわかるようになるのでなかったら、「入門書」とは言えないでしょう。そのドイツの「入門」で、私はそういうことを理解する手がかりを得ることができたように思いました。ところが、戦前の日本の「法学通論」の代表的な或る本が、高等学校のとき教科書になっていたのですが、それを勉強したことが、私にとって致命的だったのです。あの本は入門者が読んでわかる本ではなかったのです。

ところが、私の読んだそのドイツの『法律学入門』は、おそらくドイツの大学生が最初に読む「入門書」ではなかったかと思いますが、しろうとでもわかるように書いてある。たとえば、私が高等学校のときに習った哲学の教科書は、ドイツのギムナジウムの教科書でBruhnという人の『哲学的思考への入門』(Einführung in das philosophische Denken)という本でした。当時の日本の哲学入門書を読むと、哲学とは何のことやら一そうわからなくなったのですけれども、このドイツの本はよくわかるのです。さすがにドイツは本場だけあって、いい本があると思いました。

どうも日本人はエッセンスを凝縮して取り出すのが上手な民族と見えて、例えば、日本人の書く紹介論文は、短い中にぎっちり内容が凝縮されて詰まっていて、たいへん便利だったりします。その代わり、日本人の学者の多くは、初学者に対して分かりやすく入門書を書くことがどうも余り上手くないように思います。もっとも、最近ではこの傾向も若干変わってきているようですが。

これに対して、欧米では、わかりやすい教科書を書くのが一つの重要な業績として評価されるため、競ってわかりやすい教科書が出ます。このため、実は日本の教科書を読むより、欧米の教科書を読んだほうが分かりやすかったりします。そして、こういう欧米の教科書が翻訳されていない場合には、洋書を読んだほうが結果的に早く対象を理解できるということも往々にしてあるのです。

私も、経済学を勉強したときには、何冊か定評のある教科書を買いましたが、一番わかりやすかったのはスティグリッツ先生の教科書でした(日本人の学者の書いた教科書は難しすぎてよくわかりませんでした)。もっとも私が読んだのは翻訳ですが、その2年後くらいに大学の購買部で原書の改訂版(英書)を見かけたので、懐かしくなって買ってきて読んでみました。するとどうでしょう。訳書と変わらぬ分かりやすさで、すらすらと頭に入ってくるのです。当時私は洋書に対して苦手意識があったのですが、そんなことをまったく感じさせない分かりやすい文体と明快な論理でグイグイ読ませてくれる、この素晴らしい教科書にとても感動したことをよく覚えています。かなりの大部なので通読することはありませんでしたが、この本のお蔭でだいぶ洋書に対する苦手意識が克服できたように思います。

それから、日本でラテン語を勉強したときも、授業で教科書・演習書として使っていたのは、ウィーロックの教科書(英書)でした。今でこそ『ラテン広文典』なんかも復刊されていますが、当時日本語でラテン語の文法を一通り勉強できる本といったら『ラテン語四週間』くらいしかありませんでした。この本は説明がほとんどないために初学者が読んでも理解するには困難を極め、ましてや四週間で終えるなど到底不可能な学習書です。例文も不必要に難しすぎるきらいがあります。これに対し、ウィーロックの教科書は、説明も懇切丁寧で、例文もしっかりしていて、しかも初学者のレベルにしっかりと合わせてあります。この教科書で問題演習を毎週できたことは非常にためになりました。

なお、この講義を受けてから数年後に、必要に迫られてラテン語を勉強しなおしましたが、そのときは『ラテン語四週間』を使って独習しました。余り時間のなかった当時の私には、『ラテン語四週間』の簡潔で凝縮された説明はかえって好都合でした。ただこれは、上記の講義や他の入門書などでだいたいラテン語のイメージができていたから可能だったのだと思います。まったくの初学者がこの本でラテン語を一から学ぶというのは、どう考えても無謀だと思います。

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