社会科学者

欧米の社会科学については、江戸時代には当時の幕府の軍事独裁体制に適合しないため基本的に禁圧の対象となっていましたが、明治維新後は、「富国強兵・殖産興業」のスローガンの下、一転して社会体制の欧化が国策として推し進められることになります。それ以降、社会科学の世界においても、わが国は、基本的に欧米の知識を摂取してきました。もっとも、分野によってどの言語から摂取してきたかにはバラつきがあります。

まず、法学ですが、伝統的に最もポピュラーなのはドイツ語の洋書です。ドイツでは、19世紀に大きく法学が進展して(特にサヴィニーを嚆矢とする歴史法学派の貢献が大きい)、世界で最も先進的な学問体系を備えることになりました。わが国の民法起草委員の一人であった穂積陳重は、もともとイギリスに留学していたのですが、ドイツの法学のほうが優れているためドイツに留学先を変更したというのは有名な話です。日本は近代法制を徐々に整えていきますが、憲法・民法・刑法・商法・民事訴訟法・刑事訴訟法など、主な法典は遅かれ早かれすべてドイツ式になりました。また、大正時代くらいには、日本の法学の学説はほぼドイツ一色に染まっていたといわれます。

もっとも、フランス語の洋書も根強い人気があります。例えば、民法学では、フランス人のボワソナードが起草した民法草案や、民法起草委員の梅謙次郎と富井政章がフランス留学組だったこともあり、フランス法の影響も少なくありません。また、行政法でも、オットー・マイヤーの創始したドイツの行政法学は、もともとフランスの行政法の影響下に成立したという事情があります。

さらに、戦後は、アメリカ占領下でアメリカ人の起草した憲法が制定されたり、アメリカ型の独占禁止法や刑事訴訟法が制定されたりして、アメリカ法の影響も強くなります。日本はもともと大陸法という独仏系の法系に属するため、もともと、英米法系に属するアメリカ法とは別の考え方に基づく法システムを構築していたわけなのですが、戦後はアメリカ法の影響が強くなって、現在ではかなり混沌としています。最近では、ドイツ型の会社法(商法第二編)が廃止されて、新たにアメリカ型の「会社法」が制定されるなど、一部ではますますアメリカ法の影響は強くなってきています。

もっとも、それに反発するかのように、ドイツやフランスの学説研究もますます盛んになっており、さらには、これまで余り注目されてこなかったイタリア語やスペイン語の文献にも注目が集まるようになってきています。結局のところ、法学研究者としてはとりあえず英独仏の三言語は必須であり、それに加えてこの三言語での論文などで頻繁に出てくるラテン語についても、基礎的な知識がなければならず(そもそも大陸法の源流はローマ法にあります)、さらに余力のある方は、イタリア語やスペイン語にも手を出すというような形になるでしょう。

もちろん、外国法研究が専門の場合には、その言語も必須になります。例えば、中国法研究が専門なら中国語、ロシア法研究が専門ならロシア語、イベロアメリカ法研究が専門ならスペイン語とポルトガル語、ローマ法研究が専門ならばラテン語と古典ギリシャ語ができなければ話になりません。

次に、政治学ですが、これも英独仏が基本的に読めないと話にならないでしょう。渡部浩先生の『東アジアの王権と思想』(東京大学出版会)vi頁には、次のような記述があります:

私が日本政治思想史の研究者となることを志したとき、指導教官になって下さった丸山眞男先生は、次のような趣旨の注意をされた。

ドイツ語しか知らない者はドイツ語を知らないという言葉がある。同様に、日本語しか知らない者は日本語を知らず、日本しか知らない者は日本を知らない。したがって、日本を研究しようと思うなら、まず外国語を学ぶことが必要である。さしあたり、英語・ドイツ語・フランス語・中国語・朝鮮語を。そして、できれば蘭学を研究するためにオランダ語を、キリシタンを研究するためにポルトガル語を。

つまり、日本政治思想史を研究するにも英独仏は必須なのですから、いわんや他の政治学諸分野においてをやです。戦後政治学の中心がアメリカになったことから、英語文献だけで研究する人もいるようですが、視野狭窄に陥るおそれがあり、余りおすすめできません。ですから英独仏の三言語は当然習得するとして、できれば、ラテン語や古典ギリシャ語も少しはできたほうがいいです。少なくとも、「デモクラシー/デモクラティー」という言葉の語源が古典ギリシャ語の「デモス」と「クラティア」だとか、「レプブリーク/レピュブリック/リパブリック」の語源がラテン語の「レース・プーブリカ」にあるとか、そういうことに関する教養のない人には、政治学者としての基本的な素養が欠けているといわざるを得ません。

そして、上記の言語に加えて、研究対象に関する言語を習得する必要があります。プラトンやアリストテレスを研究するなら古典ギリシャ語が流暢に読めなければ話になりません。あるいは、マキャヴェリを研究するならラテン語とイタリア語、スピノザを研究するならラテン語とオランダ語、といった具合です。

これらに対し、経済学や経営学は基本的に英語ができれば十分です。どちらも英語圏で発生・発展した比較的新しい学問で、歴史的な業績もほぼ英語圏に集中しています。例えば、著名な経済学者を考えてみれば分かりますが、アダム・スミス、リカード、マルサス、ケインズ、サミュエルソンなど、すべて英語圏の人々です。しかも、現在では、この分野の世界共通語は英語だという共通了解がある程度できています。日本の経済学者も、たいていアメリカかイギリスに留学するようです。

もちろん、会計史を研究するとか(イタリア語は必須でしょう)、マルクス経済学を研究するとか(ドイツ語とロシア語は必須でしょう)、あるいは、どこか特定の地域の経済や経済史を研究するというならば話は別ですが、そうでなければ、この分野の世界共通語となっている英語で基本的に事足ります。国際組織から公表される一次資料もほとんどが英語です。

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